退屈な話

「書かないことは、なかったこと」 せっかくパソコン持ってるので日記を書きます。

20211201(アカデミアをさることについての所感)

私はアカデミアから離れようとしている。そのことについては何も問題ない。私は研究者という性質では全くなかった。他の人の書いたものを読んだり、批判したりするという営為に全くコミットすることはできなかった。教育というものについてもそれほど興味はない。

ただ、私は私が納得して死にたいだけだ。このことを考えずに死を目の当たりにした時、私は必ず後悔するんじゃないかという不安から、この世界を離れることができなかったというだけだ。この問題は、そのことを意識に上らせさえすれば、すぐに自覚することができる。私の目からだけ世界がみえ、私の耳からだけ音が聞こえ、私がいる時間だけが本当に今なのだ。そして、どういうわけかこれらの事態は私の肉体の状態によって終了することが予測される。全く理解し難い。このために、世界にも、歴史にも冷めた目しか向けられない。いかに幼稚な発想だと言われても、この問題から囚われて私は抜け出すことができないでいる。

ウィトゲンシュタイン言語ゲームを用いた解放は、確かにその通りかもしれない。しかし、いかなるロゴスによっても私の魂はある意味では救われそうもない。身心脱落が鍵になりそうな気もするが、それとウィトゲンシュタインの哲学がどう違うのか、私にはわからない。この点を考えるのも面白いかもしれない、というのが今の私の気になるとことかもしれない。