退屈な話

「書かないことは、なかったこと」 せっかくパソコン持ってるので日記を書きます。

20170526

原稿、進まないねー。

世界は私の世界である。なぜなら世界と言語は論理形式を共有しており、かつ言語は私の言語だから。

言語が私の言語である、この言語が私の理解する唯一の言語である、とはどういうことか?

また形而上学的主体とはなにか?私の身体でも私の魂でもない、そんな存在者は世界内に対象として現れることはない。形而上学的主体は世界の限界である。それは視野と眼の関係のようである。視野の内のいかなるものも、それが眼によって見られていることを導かない。

また、形而上学的主体は善悪の、そして幸福の源泉であることも見たい。また明日だな。今日もよく生きた。