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退屈な話

「書かないことは、なかったこと」 せっかくパソコン持ってるので日記を書きます。

20160914

昨晩は不安な感じがして入眠がスムーズにいかなかった。コーヒーを飲んだせいだったのか。朝は例のごとく、一度目が覚めて少しだけピアノを弾いてまた寝た。起きたのは10時頃だった気がする。朝ごはん、ベーコンエッグ丼と生姜焼き、味噌汁を食べてまた入眠。

起きると家に誰もおらず、ナポリタンが用意してあったので食べる。母は近所の小学校か養護学校に絵本の読み聞かせに行っていたらしい。しばらくぼーっとしてまた寝る。昨日は近所のおばさんと話したのだが、自分の話し方が優しいと言っていたそうだ。母親から聞いた。こっちの人の話し方が荒々しいだけだと思う。

18時頃に起きると体が不快な感じがしたのでお風呂に湯を張る。晩ご飯を食べる。鯵のフライ。美味。

用意した風呂に入って1時間半ほど散歩。近所の港まで歩いた。夜釣りをしている人が二人ほどいた。本当はもっと先の海水浴場まで行くつもりだったが、途中で引き返す。AngraのNOVA ERAとかEXILEのEXITとか聞きながら。だいぶ気が晴れる。帰ってきて某プロゲーマーの配信を少しみる。つまらん。

寝る前に少しだけ某日記を読む。やはり感銘を受ける。信仰に導くのは、聖書や説教の内容ではないということ。そして信仰に導くのがそうした言葉以上のものであるならば、私たちは信仰について議論することができないということ。なぜ私たちが信仰に至ったのかは、良心がそれを私に示そうとしない限り私たちに知られることはない。私たちが手紙を読むときに、紙の種類やインクの色に注意を払うだろうか、そしてそれが内容に影響を与えるだろうか、というアナロジー。あるいはヘアもそういうことなのかもしれないと思った。一つの信仰なのだ。

散歩のように読書したいと思う。まず「読まなくてはいけない」という後ろめたさにつつかれている。その上いつも、本が終わるまであと何ページかとか何分かかるだろうかということを気にしてしまう。また読むのが遅いことに気が滅入ってしまう。散歩するときは目的地がないか、または途中で目的地を変える、途中で散歩をやめにしてしまうことができる。ただ一歩一歩が楽しいし、それが思いがけず遠くの風景まで自分を運んでくれる。こういう風に本が読めたら楽しいと思う。時間もあるし。

寝る。