退屈な話

「書かないことは、なかったこと」 せっかくパソコン持ってるので日記を書きます。

ハッピーアワーを観に行った話

作品のネタバレ多分あるので気にされる方は見ない方がよろしいです。

 

ここ数日風邪で寝込んでたんだけど、病をおしてハッピーアワーという映画を観に行きました。

この映画、上映時間がなんと5時間もあるという作品でして、その辺は他の方の感想等も参考にしていただけると良いかと思います。

さて、風邪でボロボロのなか休憩含め6時間も座って観たわけですが大変素晴らしかったです。

 

自分で整理するために本作品の流れを書きます。

30代後半の女性4人のグループの話で最初は4人で旅行に行く。その後彼女たちは、グループの一人である芙美の紹介で鵜飼という怪しげな男が開く、これまた怪しげなワークショップに参加する。このワークショップの打ち上げで、純が実は自身と夫の結婚を解消する裁判を起こしていることを明かす。後日3人は純の裁判を傍聴する。そして以前約束していた有馬へ旅行し、その帰りに一人残ったと思われた純が失踪。

失踪した純の行方を探る夫が、彼女の友人である3人に話を聞く。あかりや桜子、芙美らが抱える職場や家庭の問題が描かれ、芙美の夫が担当する作家の朗読会に場面が移る。朗読会の打ち上げがあり、最後に芙美の夫が交通事故を起こしておしまい。

 

さすがに5時間もある映画なのでメモ書き程度のあらすじですが、正味話の筋なんてどうでもいいんですよ。この作品の真骨頂は人間と人間の絶妙な緊張関係や間を描いているところだと思うので。

作品中2回ある打ち上げや、家庭でなされる会話。これらを冗長と思えるほど仔細に映し、間をとる。「ああ、リアルだなあ」という思いとともにますます登場人物へと感情移入する。5時間はあっという間でした。

 

さて、本作品を通じて描かれているのは「好きって何か」「愛って何か」ということです。純による告白をきっかけに、これまでステーブルだと思われていたその他3人の女性の生活は大きく揺らぐことになります。そしてその変動を通じて、各人が言葉にできないながら手探りで幸せを探します。

僕はついに自分に正直になった彼女たちの態度に必ずしもコミットしません。公式サイトの謳い文句によると「普通の女性」の不安を描いた本作のこの部分は看板に偽りありといったところでしょうか。芙美の夫が「本当に好きかなんてどうでもいい、キリがないでしょ」と言ったように、あるいは桜子が「好きかどうかなんてわからなくなった。でも愛してる」といったように、好きなもんどうしがくっついてずっと一緒にいるっていうのは単なる好きを超えてのものだと思います。だから芙美や桜子の最後の決断はわからなかったです。

 

わからなかったと書きましたが、桜子は夫に不貞の事実を告げることでやはり「わかってほしかった」のでしょうね。

「なにがわかってほしいのかわからないけど、わかってほしい」という桜子の言葉通り、会話によって物語が構成される本作でありながらそのコアな部分、彼女たちの言い知れぬ不安の所在が言葉によって明示的に登場人物の口から語られることはありません。しかし5時間をともにして彼女たちが、あるいは彼女の夫らが「ついにわからなかったこと」「語ることができなかったこと」を言葉ではなく感じ取ることはできると思います。

 

だらだらと書きましたが、まだ書いてないこともたくさんあります。実の妹に「中身が空っぽ」と言われた鵜飼はどのように救われるのか。まだ書き足りぬところではありますが一旦この辺で失礼しようと思います。なにせ風邪をひいてるもので。