退屈な話

「書かないことは、なかったこと」 せっかくパソコン持ってるので日記を書きます。

20161012

9時過ぎに起床。瞑想をして、身を清めて学校へ。462円ランチ。某ッサールの本を借りて読むなど。

某演習。進化について。神様がいなければ神に訴えた命題は偽になるのかなど。

 

終わって某部屋のためのものの買い物。その後駄弁ったり、本を読んだりなど。

 

お腹が空いたので帰宅。某垢が某人にバレる。恥ずい。あるいは前からあれしてたのかもしれないが。

 

追記

悲しいじゃないですか。悲しくないという手合いとは友達になりたくない。正しいことを正しくやっていれば胸を張って生きていていいんだと考えるような卑しい連中とは関わり合いにもなりたくない。でもそれは恥ずべきことだと糾弾するなど恥知らずな真似はできない。

自分はいいことをするときほど恥ずかしくて、恥ずかしくて何もできなくなってしまう。

 

小学生の頃に養護学校の障害者をクラスぐるみで訪問させられるというイベントがあったのだが、わざわざ障害者のところまで出向いてやって一緒に遊んでやろうという考えが本当に不快で、クラスの連中とも障害者とも遊ばずに、養護学校のおもちゃで一人で遊んでいた。教員に「どうしてそんなことをするの。“遊んであげなさい”」と言われて本当に不快であった。でも当然この書き込みも不快だ。